アメリカ紀行
千葉雅也『アメリカ紀行』を読み終わった。哲学者が書く紀行文、ということで視点が新しくてめずらしくて、難しい箇所もあったけれど読みやすかった。著者はゲイなのだな。
日本では、英語圏の考え方を導入して、遅れているLGBTの権利保護を進めようという動きが盛んだ。だが単純にそれでいいのだろうか。トランスジェンダーのような概念の背後にも、歴史地理的な特殊事情がある。日本人は、西洋の理論を「普遍視」しすぎる。ジェンダーやセクシュアリティの理論を、日本の文脈の特殊性において立ち上げ直すことはできるのだろうか。
性のアメリカ的分類をそのまま適用したり、あるいは細分化したりハイブリッドにしたりするのでは取り逃がしてしまう性のあり方が、日本や中国などにはあるのではないかという視点。アメリカ的分類を無理に使うことで、日本の当事者がかえって悩みを深くする可能性もあるかもしれない。
これはわたしも作ってみたいと思って。
アレックスがお昼ご飯を作ってくれる。冷製のクスクス。缶詰のひよこ豆、生野菜、アボカド、ナッツをオリーブオイルと粉チーズであえて、クスクスと混ぜる。優しい甘みとコク。これは一人暮らしが始まったら作ってみたい。
論文を書きあぐねているときのこの考え方は生かしてみたい。
十二月四日ー「こうすべき」、「こうしなきゃ」は、定義不十分な焦りのことが多い。「これをする」、「あれをする」というタスクに変換する。肯定的な人生とは、タスク定義だ。かつ、仕事をしないでボワーッとする時間。義務の否定性から逃れ、タスクをやってそしてボワーッとする。タスク定義と余暇。
寒い寒い。家の中にいても冷蔵庫の中にいるみたいだ。左の肩、というか首はまだ痛い。寝返りを打ちながらも痛かった。左側に首が回らない。たまにピキッとなる。寒いし痛いしで散歩なし。
図書館に勤務してフリーランスで校正をやるのはどうかと思いついた。試験に落ちたのはショックだったけれど、東京勤務を避けたいという原点を思い出してホッともしている。そうでした、東京オリンピックのときに東京にいたくないんでした。
シロップのライブへ行く用の切符を予約した。ハマスホイ、ソールライター、羊のラーメン、美容院、MiMCに行きたいところ。宇宙まおちゃんをどうしようかなぁ。一泊して、ロイホ、1917、誕生日用のケーキを買う、をしたいところなんだけど。
家にいて主任警部モース『死は我が隣人』を見た。若くてお肌ツルツルのロジャー・アラムがゲストで出ている。しかもオックスフォードの教授役(マント着用)でちょっと笑ってしまった。あとコリン・デクスター先生がセリフありのカメオ出演をなさっていて、役者ですなぁ。おなじみ、モースの名前についてのシーンがよかったので書き記しておく。
アデル「この前のヒント、考えてみたけど、Eで始まる9文字で努力だとエンデヴァーしかないわ。でも、エンデヴァーなんて名前はないし…。そうなの?」
モース「ああ…、あ〜、母が…、母がクエーカー教徒だったことは言ったね。」
アデル「(うなずく)」
モース「クエーカー教徒は子どもに名前をつける時よく、忍耐を表す名前を付ける。父は、キャプテン・クックを無条件で尊敬していた。そのクックの乗った船の名前がエンデヴァーだ。」
ルイス「(バーカウンターから戻ってきて呆然とモースを見る)」
モース「どうして、二人とも笑わないんだ?」
ルイス「お気の毒すぎて…。」
アデル「わたし、そう呼ばないことにする。」
ルイス「サーはどうです?喜びますよ。」
アデル「いいえ、だめ、だめ。やっぱりモースが一番ね。みんなとおんなじにするわ。」
モース「(顔の緊張が解けて笑顔に。ジョッキを持ち上げて)乾杯」
アデル「ふふふ」