赤毛のアン

ルーシー・モード・モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』を読み終えた。

赤毛のアン (文春文庫)

赤毛のアン (文春文庫)

 

休校になった子どもたちへ向けて無料公開されたもの。タイトルだけは知っていたが、今まで読んだことがなかったのでいい機会だと思って読んでみた。

アンは何というか、夢みる少女だ。空想が習慣のようになっていて、家の周りにある道や森や湖などに自分がすてきだと思う名前と物語を与える。そしてそのことを自分の胸に留めておかず、周りの人たちに話す。とてもよく話す。彼女を引き取って育てているマリラが呆れるほどに。この空想癖とおしゃべりっぷりにはびっくりしたが、みなしごで家族も友人もなく生きてきたアンにとってはこれらが生きる糧なのだろうなと思った。暗い現実を甘い空想のベールで覆う。夢みていることが現実になるようにと祈りながら誰かに話す。

アンの怒るときはちゃんと怒るところが好きだ。クラスメイトのギルバート・ブライス(ハンサムで人気者)に赤毛を「にんじん!」とからかわれたときは、石板をギルバートの頭に打ちおろして叩き割ってしまうほどだ。この事件の後からずっと、アンはギルバートを許さず無視し続ける(でも最後は友だちになる)。

そして彼女の言う前向きな言葉。絶賛後ろ向き真っ只中なので何度も励まされた。

こんなに面白い世界に生きているのに、いつまでも悲しんでいられないわ。

私は、自分以外の誰にもなりたくないわ。

努力して勝つことがいちばんだけど、二番めにいいのは、努力した上で敗れることなんだわ。

これは彼女の言葉ではないけれど、

アンは、自分のとるべき道を、勇気を持って正面から見すえ、味方にしたのだ。たとえ義務であっても、心を開いて当たれば、良き友になるのである。 

結局アンは奨学金を受け取らず、大学進学ではなく地元の学校の教師になる道を選ぶ。16歳の女の子の決断だ。1908年、モンゴメリが33歳のときにこの本は発行された。アン以外の女の子も大勢学校に行っていたり、女の先生が赴任してきたり、アン自身に決断させたり、フェミニズムの観点からこの時代にこの本は結構新しかったんじゃないかなと思う。