『マティアス&マキシム』

思春期を過ぎて仕事や家族の悩みを抱えるようになっても、恋に恋しちゃう気持ちは10代の頃とずっと変わらず、むしろより複雑で甘美になってきて。マティアスとマキシムの恋を見守りながらも、恋するわたしたちあるあるをそこに見て赤面してしまうような、かわいいかわいい映画だった。ドランこんなのも撮れたのね。原点に戻ったと言うべきなのか、いろんなものを削ぎ落としてシンプルになったと言うべきなのか。

 

走る路面のアップとそこに流れる音楽でドランの映画だー!と興奮してしまうな。

 

ドランは身体を少しふっくらとさせて役作りをしていた感じだった。貧しいと太るんだよな… マティアスとの身体の対比。

 

スペシャルサンクスにルーカス・ヘッジスの名前があってニコニコしちゃった。

 

鏡の使い方、

婚約者がいながら彼に恋をしていること、困惑している自分に気がつく。

忘れかけてたコンプレックスに対峙する。アザが消えて理想の自分が現れる。

怒りのあまり拳で殴りつけて割ってしまう。現実を打ち破るかのようだ。でも彼にその傷を労ってもらえるのなら。

 

パーティ、パーティ、ストリップクラブ、またパーティー。周りが騒がしくても引き立つ視線、思いというものがあるんだな。その騒がしさが気づかないフリをしながら、大丈夫だよ、ちゃんと見ているよ、と優しいんだ。心地よいざわめきの中でひとりでごはんを食べてると安心することがあって、それにちょっと似てるかも。

 

自分のお母さんは毒親で仲が悪くて、でも友だちのお母さんとは仲良しっていう描き方が、ほんっとお母さんに対して歪んだ気持ちがあるのだなーという感じ。というかこのお母さんがMommyのお母さんだとパンフで知ってびっくりしたわ。

 

切り取られた部屋の壁越しに、窓越しに、覗き見しているかのように撮ってるシーンがいくつかあって。秘密めいていてドキドキした。秘密はもっと見たくなる、知りたくなる。わたしたちはそういう生き物。

 

急な雨が降ってきても気にさせないもの、それが恋なのだろう。

方向感覚と体温を狂わせ、間違った言葉を口走ってしまう、それも恋がさせてしまういたずらなのだろう。

背中を押しながら自分の元に引き止めておきたい、傲慢で矛盾に満ちたことも恋の元になら起こり得ることなのだろう。