vs Twitter

一日中強い風が吹いた。電車も止まった。陽が沈むころにやっとこ収まる。天気はいいので散歩にいけるかなと思い試しに外に出てみたけれど無理だった。代わりにラジオ体操をする。

nikkoro.com

このエントリを読んで、前から気になっていたForestという木を育てるアプリを入れた。以前、何かの記事でキリアンも使っていると言っていたアプリ。早速設定して、午後は30分×3セットの時間を読書にあてることができた。滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』、あと100ページくらい。面白いんだけど文体のせいなのか、同じ文章を読み直してしまうことが多くて時間がかかっている。

上記のエントリからの引用。

Twitterをやすむと決めたとき、ぼんやりと世界から置いてきぼりになるような、焦りのようなものを感じたけれど、全く傲慢なばかばかしい考えでした。

Twitterをやすんだところで、わたしを待っている人なんて居ない。そう思うことは悲しい気持ちではなく、なんだか優しく晴れ晴れとした心地でした。自分が関わらないところで、皆それぞれの生活をしていくことを愛おしく感じ、いつやめても、いつ再開してもいいと思うことは肩の荷が軽くなるような、すがすがしい気持ちでした。 

わたしもこんな気持ちでなるだろうか。とっくの昔にアプリは消しているけれど、ブラウザから検索して、覚えている限りのidでも検索して(自動変換で出てくるようになってしまった困ったちゃん)結局Twitterを見ている。今日も時間を溶かした。情報が欲しくて見ている。本やエンタメや流行りのニュース。そういうのをTwitter以外のどこから知ればいいのかわからない。あと人の生活を見るのがすきなのだ、どうしても。でもやめたい。