燃ゆる女の肖像

また風呂に入らずに寝たので(歯磨きはした)、朝から風呂読書。外は結構な雨が降っている。昨日のうちに出かけておいてよかった。お風呂の中にいるときに大きくて長めの地震があった。

お昼にホットサンドソロを初めて使う。具はハム、チーズ、千切りキャベツ。パンに挟むのも、焼くのも、パン2枚で作るよりずっと難しく大変だった。具を挟む順番を適当にしたら最後に挟んだハムがパンからはみ出してしまい焼いているうちに黒く焦げた。なので長く焼くこともできなくてあんまり焦げ目もつかず見た目はいまいちだった。でも味はおいしい。明日はもっとうまく作りたい。

ネトフリを見ながらネイルを塗るなどした。メンタリストはレッドジョンの正体がわかって終わりだと思っていたらまだ続くようだ。

夕方から日本橋へ出て『燃ゆる女の肖像』を見た。結構お客さんが入っている。レア・セドゥが出てるのかと勝手に思っていたら出てなくて、アデルちゃん(ファーストネームが難しくないほう)が出ていた。もうすぐ(望んでいない)結婚をする令嬢と彼女の肖像画を描くために屋敷を訪れた画家の短くてでも情熱的な恋愛の話。令嬢は緑の、画家は深紅のドレスという色の対比もそうだが、画面自体が一枚の絵みたいなバシッと決まる構図をたびたび見せてくれて、絵みたいな映画であった。枠の外で起こっていることをこちら側に想像させる、この感じは恋に似ていると思った。肖像画を描く画家の筆さばきも恋をしているようであった。彼女だけが知っている令嬢の瞳や頬の色、手の温度なんかを筆にのせて塗りこめていく。誰にも知られないように閉じこめておく。2人がいる屋敷にはメイドがいて、令嬢の母親がいない間は3人で過ごすのだけどそれがユートピアみたいでよかった。メイドがのんきに刺繍をしてる横で令嬢がエプロンをして食事の用意をする。あとメイドが堕胎をすることになってそこでの彼女たちの連帯もすごくよかった。女たちは連帯するしできるのだ。男は知らんが。堕胎の場面も衝撃的で、メイドが横になるベッドには赤ん坊がいて、彼女は赤ん坊の手を握りながら処置を受ける。生を感じながら死も感じる。宗教画のようであった。祭りに集まった女たちが歌う(ボイパみたいなこともする)場面があって、そこに来たときに今まで無音だったことに気がついた。それでもぜんぜん物足りないみたいなことはなかったし、音楽の役割とは、という感じだ。最後にビバルディの四季が流れた。あのとき令嬢は反対側に画家がいることに気づいていたんだろうか。あの泣き笑いのような涙はどういう感情なのか、少し謎が残る最後だった。最初の船乗りたちと屋敷に肖像画を取りに来た人、後に展覧会で画家に話しかける人を除いて男の人がほとんど出てこない映画だった。出てくる男も脇役の脇役という感じ。心強さも感じさせる映画だった。

帰宅してから外の風の音がすごかった。猛烈な寒波が来ているとのこと。お向かいのお家のシャッターがすごい音を立てていた。

夜ごはんは残り物のジンギスカンと味噌汁、ごはん、納豆。シャワーを浴びられてえらかった。食後にセブンイレブンイカの七味焼き(年末っぽく風呂上がりにポテチを食べながら読書をして、眠くなったら歯を磨いて寝た。やりたい放題だ。